01/茶屋街のはじまり「茶屋街の創設」
当時、金沢城下に点在していた
茶屋を「ひがし」と「にし」に
まとめたのが始まりです。
1831年に加賀藩の許可により、それまで規定されていた茶屋を「ひがし」と「にし」に創設したのが、ひがし茶屋街のはじまりです。この時に旧来の不整形な町割は改められ、整形な街区が形成されました。
ひがし茶屋街に整然とならぶ茶屋建築は、この創設時の敷地割を色濃く残しています。
1831年に加賀藩の許可により、それまで規定されていた茶屋を「ひがし」と「にし」に創設したのが、ひがし茶屋街のはじまりです。この時に旧来の不整形な町割は改められ、整形な街区が形成されました。
ひがし茶屋街に整然とならぶ茶屋建築は、この創設時の敷地割を色濃く残しています。
1831年茶屋の廃止がきまりました。そして、1846年ひがし茶屋街は「愛宕」(あたご)と名称が変更されます。しかし、茶屋の廃止が中々進まないこともあり、20年後の1867年に再び茶屋街が公認されることになります。これ以降、現在のひがし茶屋街は、ひがしや東新地と呼ばれるようになり、現在の名称に残ることになります。
現在のひがし茶屋街は重要伝統的建造物群保存地区に認定されており、保存地区内の建造物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋街の創設時から明治初期に建造された茶屋様式の町屋が多く残っています。現在でも芸妓さんがおり、笛や太鼓、三味線などの音が流れ、趣ある景観とともに楽しめます。
金沢市が保有する資料を元に、現代の家が並ぶ観音通りの昔のファサードを再現しています。ひがし茶屋街の風情ある印象を保ちつつ、中に入るとモダンで洗練されたしつらえでお客さまをお迎えいたします。